ガジュマルの木の下で

現役フリーベトナム語通訳・翻訳者の日々のこと。ベトナム駐在時代の思い出など。

ご飯食べた?

Ăn Cơm Chưa? アンコムチュア?

「ご飯食べた?」

色んな場所でよく尋ねられる挨拶です。

実際にご飯を食べたかどうかではなく、

「よっ、元気?」

みたいなニュアンスでしょうか。

ベトナムに住み始めた当初は、

近所のおじさんや市場の野菜売りのおばさんに

会うたびにそう尋ねられ、

なぜこんなにご飯のことを気にするのかしらと

本当に不思議でしたが、

相手は真面目に食べたかどうかを

知りたいのではなくて

調子どう?という

他愛のない挨拶なので

食べていれば「Rồi」ロイ/ゾイ

まだだったら「Chưa」チュア

でさらっと答えて良いみたいです。

 

また、あなたのことを

気にかけているわよ、という

心遣いの表現でもあるようなので、

こちらからも、どんどん聞いてみると

近しい感じがしますね。

 

また、ベトナムも日本と同じ米文化なので

ご飯食べた?はそのままお米食べた?

という表現なのが興味深いです。

 

 

 

東京ばな奈

ベトナムへの日本土産、悩みますね。

スイーツ系で外れがないのは、

ご存じ「東京ばな奈」です。

これ人気が高くて、買ってきてって

リクエストされることもしょっちゅうです。

あと、意外なところでカレンダー。

お歳暮などで普通に頂く

企業のものなんかでも、写真がキレイ!

ということですごく喜ばれます。

 

日本からベトナムに帰国する

ベトナム人のスーツケースを

覗いてみると、大量の

チョコレートと目薬が入っていました。

お土産用なんだそうです。

日本帰りだと、お土産をもらう側の

期待感も結構高く、色々と気を遣う!

とのことでした。

 

 

 

 

通訳と情熱

インハウスでの通訳業務では、

社内会議はもちろんのこと

ベトナム-日本間での

スカイプミーティングを行うこともあります。

些細な間違いが大きなミスになるのは

同時通訳であれ逐次通訳であれ同じことです。

訳出がちょっとうまくいかないなぁと

少し悩んでいる時期に、サッカーのトルシエ元代表監督

の通訳ダバディ氏の通訳動画を目にしました。

トルシエさんにも注意されるほどの熱い通訳。

彼は、トルシエさんの動きを観察することで、

彼のちょっとした仕草で

何を言いたいのか予測できるようになったと言います。

また、元々プロの通訳者ではなかった彼は、

最初の2年間はとにかくトルシエ元監督の

思いを何とか選手に伝えようと、

エモーションでカバーするので精いっぱいだった、

とも言っていました。

 

このお仕事はお互いの文化やバックグラウンドを

理解できないと完璧にやり遂げられません。

また言葉を並べるだけではなく

人と人との関わり合う仕事だということも

覚えておかないと。

 

情熱を持ち続けるのはとても大変だけれど

この仕事を選んだ以上、情熱を持って

取り組んでいかなければいけませんね。

また、それによって

人は動かされるのかもしれませんね。

 

 

珈琲はのんびりと

ベトナムで知り合あった友達とは

日本より濃厚なお付き合いが

多いような気がします。

それは何より、

カフェでお喋りする時間が

長いからでしょうか。

娯楽が少ないので必然的に行く場所

といえばカフェが多くなりますし、

ベトナム人同士でも遊びの誘い文句は

「đi uống cafe(コーヒー飲みに行こう)」

になりますね。

 

ベトナムコーヒーの淹れ方は少し独特です。

深めに煎った豆を

アルミのフィルターでゆっくり抽出し、

甘いコンデンスミルクを加えて飲みます。

この長い時間をのんびり待つのも

なんともベトナム式ですね。

 

私は、カフェでの方が仕事や読書が

さくさく進む方なので

(あのガヤガヤ感が好き)、

長居することもしばしば。

あの喧騒と苦くて甘いコーヒーが

恋しくて、そろそろベトナム

行きたいなあと思っているところです。

 

 

 

 

 

 

チューリップの前でポージング

今日は気持ちのいいお天気だったので、

近場の公園に行きました。

芝生の上でお弁当を広げ、

のんびりと過ごしました。

公園にはチューリップ畑が広がっていて

散策していると、楽しそうに

写真撮影に興じる外国人の

グループが。

あれこれと注文をつけられながら

カメラを向けられると

モデル顔負けのポージング。

ちょっと赤面したくなるような

このポーズ、

あれ、どっかで見たような…と

思ってよーく聞いてみると

彼らはベトナム語を話していました。

学生さんでしょうか、
こんな田舎にもベトナム人が

住むようになったんですね。

びっくりしました。

 

ベトナム人は大の写真好きで

自分好きな人も多いです。

クリスマスなどのイベント時には、

街中のオーナメントの前などは

撮影の人たちでごった返し、

たちまちバイクの大渋滞となります。

SNSにも自撮り写真を

連続で投稿したりします。

 

カメラの前ではピースぐらいしか

できない平凡な(恥ずかしがり屋な)

私としては、なんだか

彼らの自己陶酔感が羨ましくも

ありますね。

 

 

 

 

プロへの道

ベトナム語は英語とは違って、通訳者や翻訳者を

養成する機関がありません。

なので、自分で投資して独学で勉強するしか

プロになる道はしかありません。

仕事をしながら大学で地道にベトナム語の勉強を

続けたのはもちろんのことですが、

職場での実務を通して

ベトナム語力と知識を蓄積してきたのが

大きな経験になっていますね。

翻訳と通訳では使う「筋肉」がだいぶ違います。

通訳には反応の速さが求められますが

翻訳には精度が求められる、というように。

現場では、常に両方の対応を求められてきたので

両方のスキルを身に付けることで

相乗効果も得られた気がします。

今は、まだまだ経験を積むことが必要ですし、

これから取り組みたいことも盛り沢山なので

とにかく来た球はすべてキャッチ!

という気持ちですね。

 

「当たり前」ではないということ

ベトナム時代、会社をまとめる立場として

働いていました。

密かに学級委員長みたいな仕事だなと思っていました。

何百人の人間がいれば何百通りの意見があって

それを一つに束ねるのは容易ではありません。

日々トラブルは起こります。

ましてや文化も生まれ育った背景も違う国での

ことですから、「私たちの当たり前が

彼らにとって当たり前ではない」ということを

いつも頭に置いていました。

本当は完全に理解し合って解決するというのが

理想でしょうけど、なかなかそうもいかない。

だから、難しいけれど、どこかで譲り合って

落としどころを見つけるようにしていました。

色々苦労もありましたし、失敗の連続でしたが

そのころの経験は得ることも多く、

今の自分にとって大きな大きな糧になっているのは

確かです。